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8月, 2018の投稿を表示しています

誘拐(退院)

この世に生を享けて、1か月と8日のあいだ過ごした病院から、 あまねくんが無事に退院しました。 NICUとGCUでほんとうに大切に見守られ、育てられて、 あまねくんはとても幸せな人生のスタートを切ることができたと思います。 (妻は、自分も家族も含めて、これまでに受けた中で最高の看護を受けた、と言っています。) あまねくんが生まれる前からお世話になった、病院のスタッフの皆さんに何度もありがとうございますと伝えたい思いです。 ほとんど毎日病院に通い、あまねくんの顔を見ていたとはいえ、 あまねくんがこれまで安心・安全に過ごしていたのはあくまでも病院で、 病院の外、 自分たち家族だけの場所へあまねくんを連れ出すことには不安がありました。 退院は嬉しいのです。 でも同時に不安で、 嬉しいのと不安なのとのモザイク状態のまま、 あまねくんに家から持ってきた水色の縞々模様の服を着せ、 3人で病院のエレベーターに乗って、 駐車場に降り立ちました。 何台もの車の陰で、アスファルトの地面の上に立って、 こそこそと、かつ大切に、あまねくんを自分たちの車のチャイルドシートに乗せ、 あまねくんの親というより、誘拐犯になったような気がするのでした。 そして、これからお姉ちゃんを保育園に迎えに行く、という車中で、 犯罪に手を染めてしまったかのような不思議な気持ちを抱えたまま、 いろいろなことを思うのでした。 あまねくんを連れ出すのは IKEAの家具を持ち帰るのとはわけが違いますし、 「誰かにとって特別だった君を マークはずす飛びこみで僕はサッと奪いさる」 小沢健二の「ドアをノックするのは誰だ?」の歌詞をふと思い出して、 「なんて軽薄な歌なんだ」と思い、 『ある子供』という映画のことを思い出して、 「ちがう、ちがう、あれは生まれたばかりの自分の子供を他人に売ってしまう映画だった」 と気づいては、別な映画のことを考えようとし、 妻と話しながら、運転を続け、 他のお母さんも「NICUやGCUから退院するときは、誘拐するみたいだった」とネットに書いていたと聞いて、 同じように思う人もいるんだと思い、 保育園で長女を迎えて、 はじめて(ガラス越しでなく)あまねくんに対面させ、 とにもかくにも家にたどり着いて、 妻があまねくんをベビー

水引草

太山寺で頂いたホトトギスを植えた鉢の横に、水引草が元気よく伸びていました。 夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへった午さがりの林道を  ― 立原道造 「のちのおもひに」より はじめてその草を見かけたのはあまねくんの生まれる前で、 空っぽの鉢に生え出した雑草かと、ひっこ抜いてしまおうと思いましたが、 見覚えのある葉のような気もし、 これは抜いてはいけないというような元気さが葉の色にも厚みにも感じられて、 そのままにしておきました。 そして猛暑や豪雨や台風が過ぎ、 ふと気がつくと、水引草のあのひゅっと伸びる鞭のようなものが何本か出ていて、 鈍感なぼくはやっと、あ、水引草だったかと知りました。 数年前、まだ長女もいなかった頃、 妻と義母と3人で長野に旅行しました。 上田市の前山寺で、ホトトギスの花の鉢が売られていて、それを義母が買ってくれたのですが、 それが毎年きれいな花を咲かせてくれるので楽しみにしています。 (何年か後に太山寺で分けて頂いたホトトギスとは品種が違って、花の色や葉が異なります。) その長野の前山寺のホトトギスの鉢に寄せて、 義母が戸隠の道端で採ってきた水引草を植えていて、 これがまた毎年紫のホトトギスに小さくてきれいな赤を点じてくれます。 そして立原道造の有名な詩を思い出させてくれるのです。 詩のことばでしか知らなかった植物を目の当たりにして、 こちらの夢もどこかへ帰っていくような気がします。 ただ、こちらは元気よく茂るホトトギスに押されて、 わずか二株で、暑い日が続くと葉っぱも枯れがち。 雑草だと思って引っこ抜こうとした時に、 見覚えがある気がしたのは、 この少し貧弱なホトトギスの葉のかたちでした。 元気な力強い「雑草」があの立原道造の詩に歌われた水引草だと、 そして毎年きれいな赤をホトトギスに添えてくれるあの花だと気づいたとき、 引っこ抜かなくてよかったと嬉しく思ったのでした。 自分こそ雑草かもしれないのに、 ぼくは自分の「限られた」知識と価値判断に基づいて取捨選択をして、 日々知らぬ間に「雑草」を抜いているのです。 先輩の水引草と、立原道造の詩が今回の選択を助けてくれました。 義母によると水引草はそれこそ「雑草」のように増えて繁茂

あまねくんの顔から

手術後はじめて、あまねくんを抱っこしました。 おとついのことです。 「こんなに早く抱っこできるようになるなんて。」 呼吸や点滴や排出のためにあまねくんのからだに通っていた管が、 一日一日と経つうちにどんどん外れていって、 思ったより早く抱き上げられるようになったのです。 胸にできた手術の傷も、信じられないくらい回復していて、 あまねくんの生命力の強さを感じたのでした。 手術なんてしなかったような、小さくて、柔らかく、ずっしりとした羽のような軽さ。 もう一度生まれてきたかとも思える美しさをしっかりと抱きとめようと、 緊張して固くなった古いかんぬきのような腕を構えていました。 でも手術直後の姿はほんとうに痛々しかったのです。 管を通じてあまねくんのからだにつながれたたくさんの機器は、 あまねくんもまた「機械」なのかと思わせるような 「人間」と「機械」の境界をあやふやにする絵図をそこに浮かび上がらせていました。 顔はむくみ、 口に通した管を固定するテープのために口元がゆがみ、 手術前に知っていたあまねくんの顔ではなくなっていました。 そしてその顔ははっきりとダウン症の特徴を表すようなそれで、 かつてジョン・ラングドン・ダウンがその特徴を列記して「蒙古症」と名付けた「疾患」のことを想起させました。 実はあまねくんが生まれて初めて対面したときから、 ぼくはあまねくんの顔にダウン症の特徴を探していたのです。 それは恐怖探しのようなものでした。 腕に抱いたあまねくんがふと顔の筋肉を動かしたときに、目じりが釣りあがるなどして、 一目でそれとわかるような特徴が浮かび上がる。 そのたびにぼくははっとして、少なからぬショックを受けるのでした。 あまねくんが生まれる前は、街中で、バスの中でダウン症の方を見かけるたび、 友人を見つけたように嬉しくなっていた、あの「特別なしるし」のような顔を、 なぜわが子のうちに見出して恐れるのか。 ぼくは自分のその矛盾を嫌悪しました。 やはり他人は他人、わが子はわが子なのか。 出生前診断の結果を受けて、産み育てようと決めたとはいえ、 ダウン症を持っている人への差別は自分の中に根強いのではないか。 自分は結局それを克服できないのではないか。 それはあまねくんの顔から投げか

手術成功

18時前、手術が無事に終わりました。 予定していた処置がすべて正常になされたようです。 今度はCICUに移ったあまねくん。 まだ麻酔が効いていてすやすや。 口に管、 お腹のあたりから管、 おしっこの管、 その他たくさんの点滴。 テープや管だらけで痛々しいけど、 あまねくんは生きています。 息をして、胸が上下していましたが、 手術前よりおだやかになったような気が。 ただ手術後で体力が落ちてるからかな。 麻酔が切れて、起きたら痛くて辛いかな。 先生は痛み止めをしてくれると言ってたから大丈夫かな。 あまねくん、 あまねくんのからだはただの容れ物じゃないよ。 機械じゃないよ。 でもあまねくんの心臓の働きを良くするために、 そのからだであまねくんが元気で長生きできるように、 先生に手術をしてもらったよ。 お父さんもお母さんも、あまねくんが痛いなら、本当にこころが痛いよ。 からだも辛くなるよ。 でもできるだけ痛くならないようにしてもらおうね。 ゆっくり、じっくりと回復してね。 あまねくんがまだ病院にいるのが、まるで違う星にいるように感じられます。 おやすみなさい、あまねくん。

手術室へ見送る

ぼくらは越えられない境界の向こうへ、お医者さんや看護師さんといっしょに、あまねくんは小さなベッドに乗って出かけて行きました。 ものすごく寂しい。 家族待合室にはロッカーと洗面台とゴミ箱とベンチだけ。 保育園には長女がいて、 自宅には母が待機していて、 ぼくらだけ、どこかものすごく高い山の麓の小屋に置き去りにされたような気がします。 山に向かって目を上げる。 あまねくんはいつ戻ってくるんでしょう。

心臓の手術

あまねくんの心臓には、房室中隔欠損症という先天性の奇形があります。 左心室・左心房、右心室・右心房を隔てる壁に穴があいている状態なのです。 これは羊水検査を受けて、あまねくんがダウン症だということが確定したあとに、心臓をエコーで詳しく調べてわかったことです。 妊娠中に穴が塞がることもある、というようなことも聞いた気がしますが、生まれてからエコーで調べても、心臓はあのときと同じ状態ということで、あまねくんは生まれてからずっとひとりNICUにいます。優しい看護師さんやお医者さんに囲まれていますが、家族に会えるのは毎日1〜2時間。お母さんがせっせと母乳を運び、そしてあまねくんを抱いておっぱいをやります。おっぱいはたくさん飲めないので、残りはミルクか解凍した母乳を飲みます。 房室中隔欠損症(あまねくんの場合は完全型)という病気は、心房にも心室にも穴があいていて、静脈血と動脈血が心臓の中で行き来して、結果、肺に流れ込む血流が多くなってしまいます。 それで肺高血圧になり、肺に負担がかかって、呼吸が苦しくなるそうです。 あまねくん、きのうは息が上がって、もうおっぱいをほとんど飲めませんでした。3日前から鼻に管が入っていて、そこから母乳をとっています。 そしてきょうは最初の手術の日です。 肺に血液を送る血管をバンディング(しばる)して、肺へ送られる血液の量を調節する手術です。 きのうは手術前最後のおっぱいの日でした。 手術が無事に終わって、しばらくは管もたくさん通っていて、おっぱいを飲むことはできません。 まだ生まれてから一月も経たないのに、 あんなに小さいのに、 もう手術をしないといけないなんて、親としてとても胸の痛む思いです。 でももうあまねくんは息が苦しくなってきていて、手術をしないと悪くなっていくばかりだから、小さくても手術をできるからだだということは幸運かもしれません。 ぼくは4歳のときに腹膜炎で、盲腸を切る手術をしています。はっきり意識があって、手術室に入るときだったか、マスクをかぶせられて、 「メロンのにおいがする」 と言ったきり、そこからの記憶がありません。 あまねくんは「メロンのにおい」も知らないまま、手術室に行くんだな、せめて「お母さんのにおい」のする麻酔があったらいいのにな。 今日の午後3時からの予定です。 妻と二人で待ちます。 ついこないだ、生まれてくるのを