生まれてくる子がダウン症とわかって2ヶ月。 (無事に)生まれてくるまでおよそ3ヶ月。 まだまだその子を迎えるのに充分な備えができたとは言えないし、実際に生まれたときに自分の気持ちがどんな風になるのか、途方もなさそうな大変さに崩折れているのか、いや、やはりわが子は可愛くて可愛くて、なんとも言えない幸せな気持ちで腕にその子を抱いているのか、想像もできません。 妻がいて、娘がいて、これまで通りに日々を過ごしていて、大きな変化の予感が薄いというのが正直なところです。だから自分は覚悟が足りないのかなと思ったり。 でもこれまでと少し違ってきたことがあります。 不思議なのですが、エコーで異常が見つかって出生前診断を受けることになった頃から、街なかで、交通機関の中で、回転寿司のお店で、成人のダウン症の方を見かけることが急に増えたのです。お母様といっしょにお寿司を食べておられたり、バスに乗って携帯で(おそらく家族の方と)お話していたり。同じ人に何度も会うこともありました。 出生前診断診断の結果(陽性でした)を聞く前のぼくは、それをなにか神のお告げのように感じていました。次にお前のところに生まれてくる子はダウン症だぞ、と。 同時に、出生前診断を受けることになって、ダウン症のことをこれまでよりも意識するようになったから、今まではよく見えていなかったかもしれないダウン症の人たちを無意識に目で追うようになっただけだとも思っていました。 しかしいずれにせよあの時期は本当によくダウン症の方を見かけたので不思議だなと感じることは本当なのですが。 そうやってダウン症の方を見かけるようになって感じたのは、その人たちを見つめる自分の心の変化です。 家族ではない他人なのに、とても親しいような、温かい気持ちになる。 長女が生まれてから、よその赤ちゃんも可愛く見えはじめた、そんな気持ちに似ています。 バスの中で携帯で話しているダウン症の女性などは、他の人がバスの中で携帯を使っているとちょっと厳しい目で見るだろうのに、なぜか迷惑という二文字は浮かばず、お話が好きなんだな、何を話しているのかな、とむしろ微笑ましく思っている自分に気がついて驚きました。人によっては偽善と思われるかもしれませんし、ダウン症の方を特別視していると快く思われないかもしれませんが、本当にそういう感じ方をしたのです。 不思議なもので、出生前診...
わが家の第二子、あまねは出生前診断でダウン症とわかりました。妊娠中からの、あまねやダウン症、家族のあり方について思ったこと、子育ての記録など、父親の立場から綴っていきたいと思います。