そもそものはじまり
ぼく達夫婦の場合、病院での通常の検診の時の超音波エコーで、お腹の子の首の周りにむくみが見つかり、先生から「胎児水腫」の疑いがあるから、と、大きな病院での検査を勧められました。
「胎児水腫」という深刻な病名を告げられ、帰ってからそれについて調べるにつけてもショックは大きくなりましたが、
どんなことがあっても与えられた命は「産もう」と決めていました。
出生前診断を受けることに
そうではありましたが、大きな病院でじっくりとエコーをしたとき、ぼく達と同じ年代(であろう)女の先生から、首のむくみはそんなに目立つものではないし「胎児水腫」ということはないけれど、「嚢胞性ヒグローマの疑い」はあって、その場合半分の確率で染色体異常の可能性があり、もう半分の可能性で臓器になんらかの障害を持って生まれてくる可能性がある、と、そんな話を伺って、出生前診断(ぼく達の場合は羊水検査)を受けることにしました。
どんなことがあっても産むということはそのときもお話しましたし、ぼく自身の決断(正確には決断と言えるものだったか自信はありませんが)にはそのとき揺らぎはありませんでした。
しかし、どういう状態で生まれてくるか全くわからないよりも、ある程度わかっておいたほうが、ぼく達夫婦の心と環境の準備を整え、また本を読んだりして前もって学ぶこともできる、という点をプラスに考えて、ぼく達は羊水検査を受けることにしました。
「産む」と「育てる」
ここまで書いて当時の心境を妻と話しながら、ぼくと妻とでは不思議な相違があるなと思ったので記しておきます。
先程からぼくは実際には自分が出産するわけではないのに「産む」決断などと書いていましたが、
妻に聞くと「わたしは決断をしたという意識はない」と言います。しかしそれは決してあやふやな態度で出生前診断に臨んだという意味ではなくて、
「与えられた命は育てたいという自然な思い」だったそうです。
ぼく自身は「産む」「産まない」の「点」に立って「決断」するような在り方であったのに対し、
妻は「育てたい」という「持続」する「思い」を持っていた(いる)と言えるかもしれません。
もちろん「育てる」ためには「産む」ことが前提にあるわけです。
ですから妻の場合は決断するというよりも最初から産むという選択肢しかなかったことになります。
そして、ぼくとて産むことに決めた以上は、責任をもってその後も子育てに参画していかなければならないわけで、
妻の心の持ちようを自分の心ともすることが必要だなと思うのです。
出生前診断で陽性だった場合、97%の人が人工中絶を選択するという現実(情報)の中で、産むことに決めたからといって、単純にヒロイックな感情に浸っているようではいけません。
「幸いにして」事前にわが子の障害の一部について知りえたのですから、スタートまでの期間を謙虚に過ごすこと、しっかりと学び、心備えすることに費やしたいと思うのです。
ぼくはまだダウン症についてほとんど何も知らないわけですから。
本を読むことも有益でしょうし、
ダウン症のお子さんを育てておられる先輩の方々の発信されている情報を参考にすること、
そういった親御さんたちのサークルなどに自分たちも参加してみることも役に立つと思います。
なぜ「産む」ことを選択したか
先生からはじめに「異常」の可能性を告げられたとき(たまたまその日が、第二子の検診にぼくがはじめて付き添った日なのでした)、
ぼくは「妻も同じ考えだと思いますが、どんなことがあっても産もうと思っています」と言いました。
妻はそのときことをとても嬉しかったと言ってくれます。
それより前に夫婦でお腹の子に障害があった場合はこうしようなどと話しあったことはなかったのですが、
ぼくも同じ考えであったとわかって良かったと。
(今から思うと、二人の年齢を考えてもそういう話はあってもよかったのかなと思います。
ぼくの場合は男の子か女の子かばかり気にしていて、後に述べることと矛盾するようですが、お腹の子に障害があるなどとは想定していませんでした)
ではなぜぼくが出生前診断を経て最終的に「産む」と答えたか、
その理由・背景を自分なりにまとめてみると、以下の点に関わってくると思います。
宗教的要請
まず宗教的な背景からですが、
ぼくの家は両親の代からのキリスト教徒で、ぼくはクリスチャン2世です。
父方の祖父母は真言宗で、母方は臨済宗だったかと思います。
しかし両親が結婚前にキリスト教に入信し、教会の紹介で結婚することになり、
そしてぼくが生まれました。
ぼくは宗教心の篤い両親に育てられ、幼いころから日曜学校に通っていました。
そしてキリスト教的な倫理観が家庭と教会において育まれたわけです。
宗教、キリスト教に何も疑問や反発を持たずにここまで生きてきたわけではありませんが、
幼いころから教えられた神の存在やその教えはなかなか拭い去れるものではありません。
ぼくの場合は中学生、高校生、大学生と成長していっても信仰心を捨てることがなく、
高校の時には自らの宗教としてキリスト教を改めて選び直し、大学生の頃に一層信仰心を深くした(?)と思っています。
今は信仰というものは神から与えられるものであって、自分が信仰深いなどとはつゆ思いませんし、
むしろ自分の信仰が常にぐらぐらしているようで心許ないのですが、
「神が与えた命を人間が奪ってはいけない」という内的な命令はそれでも強力なものです。
同時に、「障害の有無に関わらず、すべての人が神に愛されており、平等に生きる権利を持つ」という信念の存在も無視できません。
先に「正確には(産む)決断と言えるものだったか自信はありません」と書いたのにはこのあたりの事情があります。
自分が決断した、というよりも内的な強制力に従っただけと言われても仕方がないかもしれないからです。
あるいは一種の諦めと言われるかもしれません。
ただぼくの場合は宗教がキリスト教でしたが(ちなみに妻もクリスチャンです)、
仏教の方であっても「命を奪わない」という信仰心はお持ちでしょうから、
ここでキリスト教徒だからこそ「産む」決断をしたとは言うつもりはありません。
どれだけ宗教的なものがその人のうちに根を下ろしているかで、決断に影響があるかないかが決まると思います。
また、特別な宗教が背景にない人の場合には、「産まない」という決断が容易だなどとも決して言うつもりはありません。
もしそういう方が出生前診断で陽性の結果が出て、決断すべき状況になったときには相当の苦悩があるのだろうと想像します。
(まだまだ差別や様々の困難の伴う社会であれば)誰から命じられるでもなく「産む」という決断をすることにも強い意志が必要だと思いますし、
「産まない」にしても、その痛み、その後心に受けるであろう傷との戦いの峻烈さを思えば、非常に辛い選択に違いないと思うのです。
ぼくは、キリスト教というのは弱い人間のためにあるものと思っているところがあります。
そういう「弱さ」を自覚する人たちのためにこそ救いがあり、助けが必要なのだと。
ぼくは自分ひとりで決断できないからこそ、神からの、宗教の後押しが必要だったのかもしれません。
ダウン症の人との関わり、そのご両親との関わり
消極的にも思える理由から書きましたが(本来は、宗教的要請に応えることも積極的姿勢の伴うべきものであるかとも思いますが)、
「産む」ことを決断した積極的な理由としては、ぼくが幼い頃から、身近に自分よりいくつか年上のダウン症の女性の存在があったから、ということが挙げられると思います。
その人はぼくと同じ教会に属していました。
その人のお母さんが教会員だったからです。
そのダウン症の方の妹さんも、耳が不自由で知的障害もある方でした。
そのお母さんは障害のある2人の娘さんを持ったことが、教会の門を叩くことになったきっかけとおっしゃっていましたが、
常に明るくキリッとしておられて、立派に2人のお子さんを育てておられましたし、
娘さんともどもSMAPが大好きで、一緒にライブに出かけたりと、趣味も楽しんでおられました。
ぼくの妹も一時期キムタクが好きだったことがあり、チケットが当たったからと一緒にライブに連れていってもらったりとお世話になったものです。
後にお父さんもキリスト教信仰を持たれて、皆さんで教会に来られていました。
ぼくは今、自分が育った教会とは別の教会に通っていますし、
その方々とは長らくお会いできていません。
しかし、その方々と接することができたこと、
大変なことももちろんあったには違いないのですが、仲良く楽しそうに過ごしておられるという印象ばかりが残っていること、
その関わりの中で育まれたイメージが、自分たちも障害のある子を家に迎え、あのような家庭でありたいという思いにさせてくれたのだと思います。
小さかったぼくに、差別的な眼差しがなかったというつもりはありません。
関わりの中でぼくなりに困ったこともありました。
しかし長いお付き合いの中で理解は少しずつでも深まるものです。
自分の中で完全に差別がなくなるかということはまだまだ疑問なのですが
(そもそも受け入れる壁がないのであれば、産む決断も受け入れる準備も必要ないものと思います)、
お腹の子が無事に生まれてきて、ぼくにどんな変化をもたらすかを待ちたいと思います。
とにかく、近い世代のダウン症の子が幼い自分の周りにいてくれたこと、
その親御さんを知っていたこと、
これらのことがぼくの決断の背景にあったわけです。
もし「産まない」という決断をしていたら、
ぼくの場合はその方とその方の家庭をなかったことにしてしまうようなことになってしまったでしょう。
またその方たちの存在は、
いつか自分が子供を持つようになったとき、
もしかすると神様は自分にもダウン症の子を託すかもしれないな、という予感のようなものも抱かせてくれました。
これは自分の神理解に関わってくることですが、神は自分に同じ試練、いや使命を与えるかもしれないと思ったわけです。
神とはつまりそのようなものだと。
なぜそう考えるのか不思議なのですが、それが現実になったのは驚きです。
というのも最近はそのような「使命の可能性」をすっかり忘れていたものですから。
羊水検査の結果
羊水検査の結果は21トリソミーということで、また同じ日に行ったお腹の子の心臓を調べるエコーの結果は、心臓に中隔膜欠損という奇形があるということでした。
しかしおかしなことに、ぼくが事前に想定していた障害は21トリソミー、つまりダウン症とそれに伴う奇形等だけだったのです。
先に述べた「予感」のせいかもしれませんが、考えていたのはダウン症のことばかりでした。
もっと深刻な障害であることもあり得たはずです。
21トリソミーと聴かされたときの正直な気持ちは、静かな落胆と、想定内でよかったという歪な安堵でした。
そして、よしダウン症の子を迎えるぞという決意を新たにできたわけです。
「ダウン症だったから」産む決断ができたとも言えます。
ちなみに羊水検査の結果は、染色体の一覧を紙に印刷したものを見せられたのですが、21番の染色体がはっきり3本あることと、X染色体とY染色体がそれぞれ1本ずつあることがわかりました。
つまり男の子ということです。
ぼくはお腹の子に異常があるかもしれないと聞かされるまで、二人目も女の子がいい(長女が可愛すぎて)という強いこだわりがあったのですが、そんなこだわりはいつの間にか消えていました。
とにかく無事に生まれてくれたら。
その思いの前に、いつしか性別はどちらでもと思うようになっていました。
長女の子育てを経験して
出生前診断を受けられて、結果お腹の赤ちゃんがダウン症とわかった、そしてその赤ちゃんが第一子だというご夫婦は多いことでしょう。
わが家の場合はたまたま第二子がダウン症だったわけですが、結婚9年目にして不意に長女ができ、そして彼女が2歳になるまで、色々大変な中で子育てを経験できたこと。
これもダウン症の赤ちゃんを産みたいという決断に一役かっていることは否定できないと思います。
子育てをする中で苦労よりもたくさんの喜びに出会えたこと、それがもう一度、今回は初めてのときよりもずっと大変に違いないということを理解しながらも、もう一度赤ちゃんを迎えて育てたいと思う気持ちの栄養にもなったと思います。
ダウン症の赤ちゃんは可愛い、天使だとよく聞かされます。でも内心では、きっといつも天使なわけではないだろうと思っています。それでも、長女を育てた経験から、喜びが苦労を上回るに違いないという観測をしています。
レールを逆に辿って
以上のように「産む」決断をした理由をたどってみると、なんだかダウン症の子が生まれてくることは予め決められていたように思えてきます。もちろん、そんなことはぼくの宗教を前提しなければ受け入れられないことかと思いますが。
この記事を書いている時点では、ぼく達の赤ちゃんはまだお腹の中ですから、出生前診断を受けられてダウン症だとわかった場合でも、諦めないでくださいと言うことは少し憚られます。
けれども、ダウン症の赤ちゃんがお腹の中にいることがわかったら、そこに至るまでのレールがなかったか、もし辿ることができるならそれを逆に辿ってみるという作業をしてみてもいいかもしれません。
ぼくの場合は子供の頃に『コーキーとともに』というアメリカのドラマを観ていたということもレールの上に見つかりました。ダウン症の人を主人公にしたドラマです。とても温かい良いドラマだったように記憶しています。
ぼくの親も、同じ教会にダウン症の方とそのご両親がいたわけですから、ぼくがお腹の子のことを話しても理解を示してくれました。
家族の理解や賛成も産む決断を助けてくれると思います。
しかし一切そのようなものがない、見つからない、あまりにも突然だということももちろんあると思います。
早くわが家に赤ちゃんが生まれて、ダウン症の赤ちゃんも可愛い、幸せだとはっきりと言えるようになれたらと願います。
ただ今は待つしかないわけですけれども。
ぼくは弱い人間です。
長女が生まれたときは、心を病んで仕事もできない状態でした。
鬱だったために、長女をはじめて抱いたときの感覚も感動も思い出せません。
子育てが重荷で、妻に大部分を任せて自分はほとんど何もせずに逃げていた時もあります。
それでも妻の支えと存在、どんどん可愛くなってきた娘の笑顔と存在のおかげで、今はずいぶん元気になりました。
弱い人間でも産むことを決めることができました。
次の子を初めて抱くときは、今度こそとてつもない感動を味わえるのではと思っています。
ダウン症はきっと絶望ではありません。
「きっと」と言えるということは、希望の芽生えがあるということだと思います。
ぼくは長女の可能性も、無事に生まれてくることを願っている長男の可能性も、できるだけ、最大限に伸ばしてやりたいと思い、それを生きがいに、楽しみにしています。
息子が無事に生まれたらこのブログで報告したいと思います。
このブログがわずかでも「諦めない」選択のお役に立てたらと願っています。
ぼく達夫婦の場合、病院での通常の検診の時の超音波エコーで、お腹の子の首の周りにむくみが見つかり、先生から「胎児水腫」の疑いがあるから、と、大きな病院での検査を勧められました。
「胎児水腫」という深刻な病名を告げられ、帰ってからそれについて調べるにつけてもショックは大きくなりましたが、
どんなことがあっても与えられた命は「産もう」と決めていました。
出生前診断を受けることに
そうではありましたが、大きな病院でじっくりとエコーをしたとき、ぼく達と同じ年代(であろう)女の先生から、首のむくみはそんなに目立つものではないし「胎児水腫」ということはないけれど、「嚢胞性ヒグローマの疑い」はあって、その場合半分の確率で染色体異常の可能性があり、もう半分の可能性で臓器になんらかの障害を持って生まれてくる可能性がある、と、そんな話を伺って、出生前診断(ぼく達の場合は羊水検査)を受けることにしました。
どんなことがあっても産むということはそのときもお話しましたし、ぼく自身の決断(正確には決断と言えるものだったか自信はありませんが)にはそのとき揺らぎはありませんでした。
しかし、どういう状態で生まれてくるか全くわからないよりも、ある程度わかっておいたほうが、ぼく達夫婦の心と環境の準備を整え、また本を読んだりして前もって学ぶこともできる、という点をプラスに考えて、ぼく達は羊水検査を受けることにしました。
「産む」と「育てる」
ここまで書いて当時の心境を妻と話しながら、ぼくと妻とでは不思議な相違があるなと思ったので記しておきます。
先程からぼくは実際には自分が出産するわけではないのに「産む」決断などと書いていましたが、
妻に聞くと「わたしは決断をしたという意識はない」と言います。しかしそれは決してあやふやな態度で出生前診断に臨んだという意味ではなくて、
「与えられた命は育てたいという自然な思い」だったそうです。
ぼく自身は「産む」「産まない」の「点」に立って「決断」するような在り方であったのに対し、
妻は「育てたい」という「持続」する「思い」を持っていた(いる)と言えるかもしれません。
もちろん「育てる」ためには「産む」ことが前提にあるわけです。
ですから妻の場合は決断するというよりも最初から産むという選択肢しかなかったことになります。
そして、ぼくとて産むことに決めた以上は、責任をもってその後も子育てに参画していかなければならないわけで、
妻の心の持ちようを自分の心ともすることが必要だなと思うのです。
出生前診断で陽性だった場合、97%の人が人工中絶を選択するという現実(情報)の中で、産むことに決めたからといって、単純にヒロイックな感情に浸っているようではいけません。
「幸いにして」事前にわが子の障害の一部について知りえたのですから、スタートまでの期間を謙虚に過ごすこと、しっかりと学び、心備えすることに費やしたいと思うのです。
ぼくはまだダウン症についてほとんど何も知らないわけですから。
本を読むことも有益でしょうし、
ダウン症のお子さんを育てておられる先輩の方々の発信されている情報を参考にすること、
そういった親御さんたちのサークルなどに自分たちも参加してみることも役に立つと思います。
なぜ「産む」ことを選択したか
先生からはじめに「異常」の可能性を告げられたとき(たまたまその日が、第二子の検診にぼくがはじめて付き添った日なのでした)、
ぼくは「妻も同じ考えだと思いますが、どんなことがあっても産もうと思っています」と言いました。
妻はそのときことをとても嬉しかったと言ってくれます。
それより前に夫婦でお腹の子に障害があった場合はこうしようなどと話しあったことはなかったのですが、
ぼくも同じ考えであったとわかって良かったと。
(今から思うと、二人の年齢を考えてもそういう話はあってもよかったのかなと思います。
ぼくの場合は男の子か女の子かばかり気にしていて、後に述べることと矛盾するようですが、お腹の子に障害があるなどとは想定していませんでした)
ではなぜぼくが出生前診断を経て最終的に「産む」と答えたか、
その理由・背景を自分なりにまとめてみると、以下の点に関わってくると思います。
- 宗教的背景
- 身近なダウン症の方とその親御さんの存在
- 羊水検査の結果がダウン症だったということ
- 長女の存在
宗教的要請
まず宗教的な背景からですが、
ぼくの家は両親の代からのキリスト教徒で、ぼくはクリスチャン2世です。
父方の祖父母は真言宗で、母方は臨済宗だったかと思います。
しかし両親が結婚前にキリスト教に入信し、教会の紹介で結婚することになり、
そしてぼくが生まれました。
ぼくは宗教心の篤い両親に育てられ、幼いころから日曜学校に通っていました。
そしてキリスト教的な倫理観が家庭と教会において育まれたわけです。
宗教、キリスト教に何も疑問や反発を持たずにここまで生きてきたわけではありませんが、
幼いころから教えられた神の存在やその教えはなかなか拭い去れるものではありません。
ぼくの場合は中学生、高校生、大学生と成長していっても信仰心を捨てることがなく、
高校の時には自らの宗教としてキリスト教を改めて選び直し、大学生の頃に一層信仰心を深くした(?)と思っています。
今は信仰というものは神から与えられるものであって、自分が信仰深いなどとはつゆ思いませんし、
むしろ自分の信仰が常にぐらぐらしているようで心許ないのですが、
「神が与えた命を人間が奪ってはいけない」という内的な命令はそれでも強力なものです。
同時に、「障害の有無に関わらず、すべての人が神に愛されており、平等に生きる権利を持つ」という信念の存在も無視できません。
先に「正確には(産む)決断と言えるものだったか自信はありません」と書いたのにはこのあたりの事情があります。
自分が決断した、というよりも内的な強制力に従っただけと言われても仕方がないかもしれないからです。
あるいは一種の諦めと言われるかもしれません。
ただぼくの場合は宗教がキリスト教でしたが(ちなみに妻もクリスチャンです)、
仏教の方であっても「命を奪わない」という信仰心はお持ちでしょうから、
ここでキリスト教徒だからこそ「産む」決断をしたとは言うつもりはありません。
どれだけ宗教的なものがその人のうちに根を下ろしているかで、決断に影響があるかないかが決まると思います。
また、特別な宗教が背景にない人の場合には、「産まない」という決断が容易だなどとも決して言うつもりはありません。
もしそういう方が出生前診断で陽性の結果が出て、決断すべき状況になったときには相当の苦悩があるのだろうと想像します。
(まだまだ差別や様々の困難の伴う社会であれば)誰から命じられるでもなく「産む」という決断をすることにも強い意志が必要だと思いますし、
「産まない」にしても、その痛み、その後心に受けるであろう傷との戦いの峻烈さを思えば、非常に辛い選択に違いないと思うのです。
ぼくは、キリスト教というのは弱い人間のためにあるものと思っているところがあります。
そういう「弱さ」を自覚する人たちのためにこそ救いがあり、助けが必要なのだと。
ぼくは自分ひとりで決断できないからこそ、神からの、宗教の後押しが必要だったのかもしれません。
ダウン症の人との関わり、そのご両親との関わり
消極的にも思える理由から書きましたが(本来は、宗教的要請に応えることも積極的姿勢の伴うべきものであるかとも思いますが)、
「産む」ことを決断した積極的な理由としては、ぼくが幼い頃から、身近に自分よりいくつか年上のダウン症の女性の存在があったから、ということが挙げられると思います。
その人はぼくと同じ教会に属していました。
その人のお母さんが教会員だったからです。
そのダウン症の方の妹さんも、耳が不自由で知的障害もある方でした。
そのお母さんは障害のある2人の娘さんを持ったことが、教会の門を叩くことになったきっかけとおっしゃっていましたが、
常に明るくキリッとしておられて、立派に2人のお子さんを育てておられましたし、
娘さんともどもSMAPが大好きで、一緒にライブに出かけたりと、趣味も楽しんでおられました。
ぼくの妹も一時期キムタクが好きだったことがあり、チケットが当たったからと一緒にライブに連れていってもらったりとお世話になったものです。
後にお父さんもキリスト教信仰を持たれて、皆さんで教会に来られていました。
ぼくは今、自分が育った教会とは別の教会に通っていますし、
その方々とは長らくお会いできていません。
しかし、その方々と接することができたこと、
大変なことももちろんあったには違いないのですが、仲良く楽しそうに過ごしておられるという印象ばかりが残っていること、
その関わりの中で育まれたイメージが、自分たちも障害のある子を家に迎え、あのような家庭でありたいという思いにさせてくれたのだと思います。
小さかったぼくに、差別的な眼差しがなかったというつもりはありません。
関わりの中でぼくなりに困ったこともありました。
しかし長いお付き合いの中で理解は少しずつでも深まるものです。
自分の中で完全に差別がなくなるかということはまだまだ疑問なのですが
(そもそも受け入れる壁がないのであれば、産む決断も受け入れる準備も必要ないものと思います)、
お腹の子が無事に生まれてきて、ぼくにどんな変化をもたらすかを待ちたいと思います。
とにかく、近い世代のダウン症の子が幼い自分の周りにいてくれたこと、
その親御さんを知っていたこと、
これらのことがぼくの決断の背景にあったわけです。
もし「産まない」という決断をしていたら、
ぼくの場合はその方とその方の家庭をなかったことにしてしまうようなことになってしまったでしょう。
またその方たちの存在は、
いつか自分が子供を持つようになったとき、
もしかすると神様は自分にもダウン症の子を託すかもしれないな、という予感のようなものも抱かせてくれました。
これは自分の神理解に関わってくることですが、神は自分に同じ試練、いや使命を与えるかもしれないと思ったわけです。
神とはつまりそのようなものだと。
なぜそう考えるのか不思議なのですが、それが現実になったのは驚きです。
というのも最近はそのような「使命の可能性」をすっかり忘れていたものですから。
羊水検査の結果
羊水検査の結果は21トリソミーということで、また同じ日に行ったお腹の子の心臓を調べるエコーの結果は、心臓に中隔膜欠損という奇形があるということでした。
しかしおかしなことに、ぼくが事前に想定していた障害は21トリソミー、つまりダウン症とそれに伴う奇形等だけだったのです。
先に述べた「予感」のせいかもしれませんが、考えていたのはダウン症のことばかりでした。
もっと深刻な障害であることもあり得たはずです。
21トリソミーと聴かされたときの正直な気持ちは、静かな落胆と、想定内でよかったという歪な安堵でした。
そして、よしダウン症の子を迎えるぞという決意を新たにできたわけです。
「ダウン症だったから」産む決断ができたとも言えます。
ちなみに羊水検査の結果は、染色体の一覧を紙に印刷したものを見せられたのですが、21番の染色体がはっきり3本あることと、X染色体とY染色体がそれぞれ1本ずつあることがわかりました。
つまり男の子ということです。
ぼくはお腹の子に異常があるかもしれないと聞かされるまで、二人目も女の子がいい(長女が可愛すぎて)という強いこだわりがあったのですが、そんなこだわりはいつの間にか消えていました。
とにかく無事に生まれてくれたら。
その思いの前に、いつしか性別はどちらでもと思うようになっていました。
長女の子育てを経験して
出生前診断を受けられて、結果お腹の赤ちゃんがダウン症とわかった、そしてその赤ちゃんが第一子だというご夫婦は多いことでしょう。
わが家の場合はたまたま第二子がダウン症だったわけですが、結婚9年目にして不意に長女ができ、そして彼女が2歳になるまで、色々大変な中で子育てを経験できたこと。
これもダウン症の赤ちゃんを産みたいという決断に一役かっていることは否定できないと思います。
子育てをする中で苦労よりもたくさんの喜びに出会えたこと、それがもう一度、今回は初めてのときよりもずっと大変に違いないということを理解しながらも、もう一度赤ちゃんを迎えて育てたいと思う気持ちの栄養にもなったと思います。
ダウン症の赤ちゃんは可愛い、天使だとよく聞かされます。でも内心では、きっといつも天使なわけではないだろうと思っています。それでも、長女を育てた経験から、喜びが苦労を上回るに違いないという観測をしています。
レールを逆に辿って
以上のように「産む」決断をした理由をたどってみると、なんだかダウン症の子が生まれてくることは予め決められていたように思えてきます。もちろん、そんなことはぼくの宗教を前提しなければ受け入れられないことかと思いますが。
この記事を書いている時点では、ぼく達の赤ちゃんはまだお腹の中ですから、出生前診断を受けられてダウン症だとわかった場合でも、諦めないでくださいと言うことは少し憚られます。
けれども、ダウン症の赤ちゃんがお腹の中にいることがわかったら、そこに至るまでのレールがなかったか、もし辿ることができるならそれを逆に辿ってみるという作業をしてみてもいいかもしれません。
ぼくの場合は子供の頃に『コーキーとともに』というアメリカのドラマを観ていたということもレールの上に見つかりました。ダウン症の人を主人公にしたドラマです。とても温かい良いドラマだったように記憶しています。
ぼくの親も、同じ教会にダウン症の方とそのご両親がいたわけですから、ぼくがお腹の子のことを話しても理解を示してくれました。
家族の理解や賛成も産む決断を助けてくれると思います。
しかし一切そのようなものがない、見つからない、あまりにも突然だということももちろんあると思います。
早くわが家に赤ちゃんが生まれて、ダウン症の赤ちゃんも可愛い、幸せだとはっきりと言えるようになれたらと願います。
ただ今は待つしかないわけですけれども。
ぼくは弱い人間です。
長女が生まれたときは、心を病んで仕事もできない状態でした。
鬱だったために、長女をはじめて抱いたときの感覚も感動も思い出せません。
子育てが重荷で、妻に大部分を任せて自分はほとんど何もせずに逃げていた時もあります。
それでも妻の支えと存在、どんどん可愛くなってきた娘の笑顔と存在のおかげで、今はずいぶん元気になりました。
弱い人間でも産むことを決めることができました。
次の子を初めて抱くときは、今度こそとてつもない感動を味わえるのではと思っています。
ダウン症はきっと絶望ではありません。
「きっと」と言えるということは、希望の芽生えがあるということだと思います。
ぼくは長女の可能性も、無事に生まれてくることを願っている長男の可能性も、できるだけ、最大限に伸ばしてやりたいと思い、それを生きがいに、楽しみにしています。
息子が無事に生まれたらこのブログで報告したいと思います。
このブログがわずかでも「諦めない」選択のお役に立てたらと願っています。
↑↑↑のリンクをクリックして頂くと、ダウン症育児カテゴリ内の他の方のブログも読めます。クリックして頂くとこちらの励みにもなりますので、よろしくお願いいたします。
コメント
コメントを投稿