手術後はじめて、あまねくんを抱っこしました。
おとついのことです。
「こんなに早く抱っこできるようになるなんて。」
呼吸や点滴や排出のためにあまねくんのからだに通っていた管が、
一日一日と経つうちにどんどん外れていって、
思ったより早く抱き上げられるようになったのです。
胸にできた手術の傷も、信じられないくらい回復していて、
あまねくんの生命力の強さを感じたのでした。
手術なんてしなかったような、小さくて、柔らかく、ずっしりとした羽のような軽さ。
もう一度生まれてきたかとも思える美しさをしっかりと抱きとめようと、
緊張して固くなった古いかんぬきのような腕を構えていました。
でも手術直後の姿はほんとうに痛々しかったのです。
管を通じてあまねくんのからだにつながれたたくさんの機器は、
あまねくんもまた「機械」なのかと思わせるような
「人間」と「機械」の境界をあやふやにする絵図をそこに浮かび上がらせていました。
顔はむくみ、
口に通した管を固定するテープのために口元がゆがみ、
手術前に知っていたあまねくんの顔ではなくなっていました。
そしてその顔ははっきりとダウン症の特徴を表すようなそれで、
かつてジョン・ラングドン・ダウンがその特徴を列記して「蒙古症」と名付けた「疾患」のことを想起させました。
実はあまねくんが生まれて初めて対面したときから、
ぼくはあまねくんの顔にダウン症の特徴を探していたのです。
それは恐怖探しのようなものでした。
腕に抱いたあまねくんがふと顔の筋肉を動かしたときに、目じりが釣りあがるなどして、
一目でそれとわかるような特徴が浮かび上がる。
そのたびにぼくははっとして、少なからぬショックを受けるのでした。
あまねくんが生まれる前は、街中で、バスの中でダウン症の方を見かけるたび、
友人を見つけたように嬉しくなっていた、あの「特別なしるし」のような顔を、
なぜわが子のうちに見出して恐れるのか。
ぼくは自分のその矛盾を嫌悪しました。
やはり他人は他人、わが子はわが子なのか。
出生前診断の結果を受けて、産み育てようと決めたとはいえ、
ダウン症を持っている人への差別は自分の中に根強いのではないか。
自分は結局それを克服できないのではないか。
それはあまねくんの顔から投げかけられたかのように思える厳しい問いでした。
あまねくん自身はただただぼくに身をまかせて抱かれているだけであったのにもかかわらず。
しかし間もなくぼくはこんなことを思うようになりました。
ぼくの恐れの正体は、あまねくんがダウン症であることを改めて思い知らされることにあるのではないのではないか。
かけがえがなく、世界でたったひとりのはずの、
峻厳にそびえ立つわが子の最高の価値が、
ダウン症という「名称」のもとに平らにならされてしまう、
そのことへの恐怖なのではないか、と。
そう考えた時、ぼくは赦されたような安心を身に覚えたのです。
あまねくんが21トリソミーであることは取り消すことはできません。
すべての細胞の中から、3本ある21番目の染色体のうちの一本を取り除くようなことは不可能です。
そんなことをすればあまねくんは死んでしまう。
けれども、あまねくんの個人としての価値が、
ダウン症という単なる「名称」によっておとしめられようとすることがあった場合には、
ぼくはそれを打ち消すことができるのです。
他の人に対して。
そして誰よりも自分自身に対して。
出生前診断を受け、ダウン症の子を迎えようとの決断は、一度きりのものではなかったのです。
産む・産まない、と決めれば、あとは自動的に出来事が流れたり、その決断を忘却できたりするようなものではありません。
この子の価値を自分が率先して認め続けていこうという決断は、あまねくんの存在とともに毎瞬間なされ続けていくものなのだ。
これが今のぼくの感じ方です。
よく考えてみれば、もしあまねくんのダウン症が出生後に明らかになった場合であっても、
また、
「健常」とされている長女の場合であっても、
このことは同じなのではないでしょうか。
人は誰しも「自分はこうだ」「あの人はそうだ」という不変の状態に安心することはできないし、投げ捨てられることもできないと思います。
常に自分を見つめなおし、また見守られ、注視されながら、その価値と可能性を新たにされていくもの、
そんなことを思うのです。
このことはあまねくんと生きていくことを力づけるとともに、
自分自身のこれからを励ますものでもあります。
例えば目下2歳半のやんちゃな長女が、
いつか学校で「問題児」呼ばわりされるようなことになってしまっても、
長女に対して常に新しい見方→味方をして接することができはしないか。
けれどもこれも単なる思いつきで、
これから先、このような考え方が自分には身につかないかもしれない。
忘れてしまって、まったく活かせないかもしれない。
あるいは有効でないかもしれない。
でもぼくがあまねくんの顔から投げかけられた問いに対するこの答えを、
いましっかり記録しておこうと思いました。
NICUの看護師さんは、あまねくんがぼくにそっくりだと言ってくれます。
そもそもぼくの顔自体がありふれた顔で、「○○に似てる(※一般人・芸能人ともに含む)」と言われたことは数え上げればきりがなく。
似た顔は地球の上にたくさんたくさんあるのです。
神はこの世界に意匠を凝らしすぎたわけでもないようです。
しかしその意味するところはそれぞれに深い。
表面にこだわらず、深いところを味わっていきたいものです。
おとついのことです。
「こんなに早く抱っこできるようになるなんて。」
呼吸や点滴や排出のためにあまねくんのからだに通っていた管が、
一日一日と経つうちにどんどん外れていって、
思ったより早く抱き上げられるようになったのです。
胸にできた手術の傷も、信じられないくらい回復していて、
あまねくんの生命力の強さを感じたのでした。
手術なんてしなかったような、小さくて、柔らかく、ずっしりとした羽のような軽さ。
もう一度生まれてきたかとも思える美しさをしっかりと抱きとめようと、
緊張して固くなった古いかんぬきのような腕を構えていました。
でも手術直後の姿はほんとうに痛々しかったのです。
管を通じてあまねくんのからだにつながれたたくさんの機器は、
あまねくんもまた「機械」なのかと思わせるような
「人間」と「機械」の境界をあやふやにする絵図をそこに浮かび上がらせていました。
顔はむくみ、
口に通した管を固定するテープのために口元がゆがみ、
手術前に知っていたあまねくんの顔ではなくなっていました。
そしてその顔ははっきりとダウン症の特徴を表すようなそれで、
かつてジョン・ラングドン・ダウンがその特徴を列記して「蒙古症」と名付けた「疾患」のことを想起させました。
実はあまねくんが生まれて初めて対面したときから、
ぼくはあまねくんの顔にダウン症の特徴を探していたのです。
それは恐怖探しのようなものでした。
腕に抱いたあまねくんがふと顔の筋肉を動かしたときに、目じりが釣りあがるなどして、
一目でそれとわかるような特徴が浮かび上がる。
そのたびにぼくははっとして、少なからぬショックを受けるのでした。
あまねくんが生まれる前は、街中で、バスの中でダウン症の方を見かけるたび、
友人を見つけたように嬉しくなっていた、あの「特別なしるし」のような顔を、
なぜわが子のうちに見出して恐れるのか。
ぼくは自分のその矛盾を嫌悪しました。
やはり他人は他人、わが子はわが子なのか。
出生前診断の結果を受けて、産み育てようと決めたとはいえ、
ダウン症を持っている人への差別は自分の中に根強いのではないか。
自分は結局それを克服できないのではないか。
それはあまねくんの顔から投げかけられたかのように思える厳しい問いでした。
あまねくん自身はただただぼくに身をまかせて抱かれているだけであったのにもかかわらず。
しかし間もなくぼくはこんなことを思うようになりました。
ぼくの恐れの正体は、あまねくんがダウン症であることを改めて思い知らされることにあるのではないのではないか。
かけがえがなく、世界でたったひとりのはずの、
峻厳にそびえ立つわが子の最高の価値が、
ダウン症という「名称」のもとに平らにならされてしまう、
そのことへの恐怖なのではないか、と。
そう考えた時、ぼくは赦されたような安心を身に覚えたのです。
あまねくんが21トリソミーであることは取り消すことはできません。
すべての細胞の中から、3本ある21番目の染色体のうちの一本を取り除くようなことは不可能です。
そんなことをすればあまねくんは死んでしまう。
けれども、あまねくんの個人としての価値が、
ダウン症という単なる「名称」によっておとしめられようとすることがあった場合には、
ぼくはそれを打ち消すことができるのです。
他の人に対して。
そして誰よりも自分自身に対して。
出生前診断を受け、ダウン症の子を迎えようとの決断は、一度きりのものではなかったのです。
産む・産まない、と決めれば、あとは自動的に出来事が流れたり、その決断を忘却できたりするようなものではありません。
この子の価値を自分が率先して認め続けていこうという決断は、あまねくんの存在とともに毎瞬間なされ続けていくものなのだ。
これが今のぼくの感じ方です。
よく考えてみれば、もしあまねくんのダウン症が出生後に明らかになった場合であっても、
また、
「健常」とされている長女の場合であっても、
このことは同じなのではないでしょうか。
人は誰しも「自分はこうだ」「あの人はそうだ」という不変の状態に安心することはできないし、投げ捨てられることもできないと思います。
常に自分を見つめなおし、また見守られ、注視されながら、その価値と可能性を新たにされていくもの、
そんなことを思うのです。
このことはあまねくんと生きていくことを力づけるとともに、
自分自身のこれからを励ますものでもあります。
例えば目下2歳半のやんちゃな長女が、
いつか学校で「問題児」呼ばわりされるようなことになってしまっても、
長女に対して常に新しい見方→味方をして接することができはしないか。
けれどもこれも単なる思いつきで、
これから先、このような考え方が自分には身につかないかもしれない。
忘れてしまって、まったく活かせないかもしれない。
あるいは有効でないかもしれない。
でもぼくがあまねくんの顔から投げかけられた問いに対するこの答えを、
いましっかり記録しておこうと思いました。
NICUの看護師さんは、あまねくんがぼくにそっくりだと言ってくれます。
そもそもぼくの顔自体がありふれた顔で、「○○に似てる(※一般人・芸能人ともに含む)」と言われたことは数え上げればきりがなく。
似た顔は地球の上にたくさんたくさんあるのです。
神はこの世界に意匠を凝らしすぎたわけでもないようです。
しかしその意味するところはそれぞれに深い。
表面にこだわらず、深いところを味わっていきたいものです。
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こんにちは。我が家もこの10月にダウン症の長男が誕生しました。うちの場合は産後に告知を受けました。しばし呆然とする日々を過ごししておりますが、他のご家庭はどのようにお子さんを育てていらっしゃるのかと、ブログを拝見する中でこちらを読ませていただきました。私も可愛い我が子の顔から両親の面影が消えていくのかと、戦々恐々としながらも、一方で世界中で一定数生まれるというダウン症の子供たちの顔が似てるという事実に、何か意味があるのではと思うこともあります。同じ仲間?というか。同じく、そのお子さん達を育てるご両親の価値観に、深く共鳴させていただくことも多く、何か親しい仲間に出会えたような気持ちがしています。ブログ、楽しみにしています。
返信削除ishiiiさん、はじめまして。ご返信差し上げるのが遅くなって申し訳ありません。そして、ご長男のご誕生おめでとうございます。わが子に障害がある、そのことを受け入れるのには時間がかかるかもしれませんね。私もコメントくださった記事の時点から3ヵ月あまねと過ごしていますが、彼の顔を見るたび、彼がダウン症であるという、自分はそれを担っていくんだなという意識は払しょくできないでいます。何か彼が何らかの重荷であるかのような。ですが、可愛さももちろんあって、長女に比べて成長はゆっくりでも、最近は絵本を読んであげるようにしています。まだ絵を見ているかどうかわかりませんが。彼が豊かに過ごせるように親として努力していきたいです。ダウン症はその顔の特徴からして、とてもわかりやすい「障害」だと思います。見分けやすいがゆえに、差別・選別されやすいかもしれません。しかしishiiiさんのおっしゃるように「仲間」を見つけやすくもある特徴ですね。家内は同じくダウン症のお子さんを持つお母さんとお友だちになって、とても楽しくお付き合いさせて頂いているようです。このブログはなかなか記事が書かれませんが、またよければ除いてみてください。来月頭にカテーテル検査。来年には房室中隔欠損症の根治手術をします。そのときに様子を報告させて頂くかもしれません。読んで頂いてありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
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