スキップしてメイン コンテンツに移動

手術室へ見送る

ぼくらは越えられない境界の向こうへ、お医者さんや看護師さんといっしょに、あまねくんは小さなベッドに乗って出かけて行きました。

ものすごく寂しい。

家族待合室にはロッカーと洗面台とゴミ箱とベンチだけ。

保育園には長女がいて、
自宅には母が待機していて、

ぼくらだけ、どこかものすごく高い山の麓の小屋に置き去りにされたような気がします。

山に向かって目を上げる。

あまねくんはいつ戻ってくるんでしょう。

●人気ブログランキング

↑↑↑のリンクをクリックして頂くと、ダウン症育児カテゴリ内の他の方のブログも読めます。クリックして頂くとこちらの励みにもなりますので、よろしくお願いいたします。

コメント

このブログの人気の投稿

胎動(はじめまして)

エコーで妻のお腹の子の首のまわりにむくみが見つかってからもう2ヶ月以上経ちました。 妻の検診にに付き添ったその日、これまで通りに元気な赤ちゃんの姿をエコーで確認し、診察で妻が先生から「順調です」と言われ、そのまま帰るのだと思っていました。 そこは長女の生まれた病院で、 生まれる前の検診ではいつも異常がなくて、 ぼくは自分が付き添ったときはエコーや診察などを一連の儀式のように感じていたかもしれません。 でも今年(2018年)の2月7日、 その日は違いました。 エコーはもう済んでいるのに、妻がもう一度エコー検査の部屋に入りました。 そして診察。 そこで先生から首のまわりにむくみのあるエコー写真を見せられながら、「お話」を聞かされたのです。 先生はメモ用紙に「胎児水腫」と書きました。 大きな病院で確認しないとわからないけれど、生まれてすぐに亡くなる場合や死産になる可能性もあると言われました。 そしてこんなことも言われました。 「ダウン症ということも考えられるかもしれない」 ぼくは「とうとう来たか」と思いました。 「胎児水腫」という重い病気かもしれないということよりも、「ダウン症かも」ということのほうが、認識の重みとしてずっしりと心に感じられたように覚えています。 「どんなことがあっても私達は生もうと思っています」 ぼくは先生にそう言いました。妻も頷いていました。 先生は、羊水検査を受けてみたら、ということ、今の週数なら生まないという選択も可能だということを言い添えて、大きな病院宛の紹介状を書いてくれました。 このブログは、自分の子がダウン症かもしれないと聞かされたときの気持ち、 なぜためらわずに「生もうと思う」と答えたのか、 その背景や理由から綴りはじめ、 出産までの経過、 そしてわが家に無事ダウン症の子どもが生まれてからのこと、 その中で感じたことや考えたことを書いていこうと思います。 ***** 妻と娘が隣ですやすやと眠っています。 きょうも妻が「あまねくんがよく動いているから」とお腹を触るように言いました。 すごくよく動きます。 長女のときと同じです。 はっきりと21番目の染色体が3本ある羊水検査の結果を見た(その時に性別もわかりました)ので、お腹の子がダウン症であること

あまねくんの顔から

手術後はじめて、あまねくんを抱っこしました。 おとついのことです。 「こんなに早く抱っこできるようになるなんて。」 呼吸や点滴や排出のためにあまねくんのからだに通っていた管が、 一日一日と経つうちにどんどん外れていって、 思ったより早く抱き上げられるようになったのです。 胸にできた手術の傷も、信じられないくらい回復していて、 あまねくんの生命力の強さを感じたのでした。 手術なんてしなかったような、小さくて、柔らかく、ずっしりとした羽のような軽さ。 もう一度生まれてきたかとも思える美しさをしっかりと抱きとめようと、 緊張して固くなった古いかんぬきのような腕を構えていました。 でも手術直後の姿はほんとうに痛々しかったのです。 管を通じてあまねくんのからだにつながれたたくさんの機器は、 あまねくんもまた「機械」なのかと思わせるような 「人間」と「機械」の境界をあやふやにする絵図をそこに浮かび上がらせていました。 顔はむくみ、 口に通した管を固定するテープのために口元がゆがみ、 手術前に知っていたあまねくんの顔ではなくなっていました。 そしてその顔ははっきりとダウン症の特徴を表すようなそれで、 かつてジョン・ラングドン・ダウンがその特徴を列記して「蒙古症」と名付けた「疾患」のことを想起させました。 実はあまねくんが生まれて初めて対面したときから、 ぼくはあまねくんの顔にダウン症の特徴を探していたのです。 それは恐怖探しのようなものでした。 腕に抱いたあまねくんがふと顔の筋肉を動かしたときに、目じりが釣りあがるなどして、 一目でそれとわかるような特徴が浮かび上がる。 そのたびにぼくははっとして、少なからぬショックを受けるのでした。 あまねくんが生まれる前は、街中で、バスの中でダウン症の方を見かけるたび、 友人を見つけたように嬉しくなっていた、あの「特別なしるし」のような顔を、 なぜわが子のうちに見出して恐れるのか。 ぼくは自分のその矛盾を嫌悪しました。 やはり他人は他人、わが子はわが子なのか。 出生前診断の結果を受けて、産み育てようと決めたとはいえ、 ダウン症を持っている人への差別は自分の中に根強いのではないか。 自分は結局それを克服できないのではないか。 それはあまねくんの顔から投げか

ちょっとだけ違って見えはじめた世界

生まれてくる子がダウン症とわかって2ヶ月。 (無事に)生まれてくるまでおよそ3ヶ月。 まだまだその子を迎えるのに充分な備えができたとは言えないし、実際に生まれたときに自分の気持ちがどんな風になるのか、途方もなさそうな大変さに崩折れているのか、いや、やはりわが子は可愛くて可愛くて、なんとも言えない幸せな気持ちで腕にその子を抱いているのか、想像もできません。 妻がいて、娘がいて、これまで通りに日々を過ごしていて、大きな変化の予感が薄いというのが正直なところです。だから自分は覚悟が足りないのかなと思ったり。 でもこれまでと少し違ってきたことがあります。 不思議なのですが、エコーで異常が見つかって出生前診断を受けることになった頃から、街なかで、交通機関の中で、回転寿司のお店で、成人のダウン症の方を見かけることが急に増えたのです。お母様といっしょにお寿司を食べておられたり、バスに乗って携帯で(おそらく家族の方と)お話していたり。同じ人に何度も会うこともありました。 出生前診断診断の結果(陽性でした)を聞く前のぼくは、それをなにか神のお告げのように感じていました。次にお前のところに生まれてくる子はダウン症だぞ、と。 同時に、出生前診断を受けることになって、ダウン症のことをこれまでよりも意識するようになったから、今まではよく見えていなかったかもしれないダウン症の人たちを無意識に目で追うようになっただけだとも思っていました。 しかしいずれにせよあの時期は本当によくダウン症の方を見かけたので不思議だなと感じることは本当なのですが。 そうやってダウン症の方を見かけるようになって感じたのは、その人たちを見つめる自分の心の変化です。 家族ではない他人なのに、とても親しいような、温かい気持ちになる。 長女が生まれてから、よその赤ちゃんも可愛く見えはじめた、そんな気持ちに似ています。 バスの中で携帯で話しているダウン症の女性などは、他の人がバスの中で携帯を使っているとちょっと厳しい目で見るだろうのに、なぜか迷惑という二文字は浮かばず、お話が好きなんだな、何を話しているのかな、とむしろ微笑ましく思っている自分に気がついて驚きました。人によっては偽善と思われるかもしれませんし、ダウン症の方を特別視していると快く思われないかもしれませんが、本当にそういう感じ方をしたのです。 不思議なもので、出生前診