お腹の子がダウン症とわかってから、街のなかでダウン症をもつ人を見かけることが多くなりました。
バスや地下鉄の中で、病院で、回転寿司のお店で。
先日、地下鉄のなかで、ぼくの座った斜め向かいの席に、ダウン症のお子さん(といっても高校生くらいに見える)とお母さんが座りました。
喉の調子が悪かったのか、お子さんは少し咳き込んでいて、お母さんが水筒の飲み物を口元に運んで、飲ませておられました。とても優しそうなお母さんでした。
その光景は、ぼくにとっては自分たちの未来に思えます。だから、お母さんがどんな風にお子さんに関わっておられて、そのときお子さんはどんな様子か、じっと見ていたくなります。
でも、人をじっと見ることは、普通は失礼なことでしょうし、相手の方たちがどんな風にぼくの眼差しを受け取られるかわかりません。ぼくがどんな人間で、どんな子の親なのかはその人たちにはわからないので。
だから目を伏せて、でもときどきちらりと盗み見て、その人たちの関わりのやさしさや信頼を感じていました。目があってしまわないように気をつけながら。
でもぼくも2歳の長女と公共交通機関を利用することがありますし、娘が大きな声で何かを言ったり、がさがさとしたりしたとき、また、特に何もしていないときとき、誰とも目があってなくても眼差しを感じることはありますから、前の座席のおふたりもぼくの視線に気づかれていたかもしれませんね。
予定日まであと一週間。
生まれてくる子からはじめてぼくに注がれる眼差し、
ぼくがその子に注ぐ眼差しはどんなで、
またぼくらが一緒に受ける人からの眼差しはいったいどこでだれからどんな風に注がれるのでしょうか。
早くも、ダウン症をもって生まれてくる子と自分がお出かけをしているところを想像しています。
バスや地下鉄の中で、病院で、回転寿司のお店で。
先日、地下鉄のなかで、ぼくの座った斜め向かいの席に、ダウン症のお子さん(といっても高校生くらいに見える)とお母さんが座りました。
喉の調子が悪かったのか、お子さんは少し咳き込んでいて、お母さんが水筒の飲み物を口元に運んで、飲ませておられました。とても優しそうなお母さんでした。
その光景は、ぼくにとっては自分たちの未来に思えます。だから、お母さんがどんな風にお子さんに関わっておられて、そのときお子さんはどんな様子か、じっと見ていたくなります。
でも、人をじっと見ることは、普通は失礼なことでしょうし、相手の方たちがどんな風にぼくの眼差しを受け取られるかわかりません。ぼくがどんな人間で、どんな子の親なのかはその人たちにはわからないので。
だから目を伏せて、でもときどきちらりと盗み見て、その人たちの関わりのやさしさや信頼を感じていました。目があってしまわないように気をつけながら。
でもぼくも2歳の長女と公共交通機関を利用することがありますし、娘が大きな声で何かを言ったり、がさがさとしたりしたとき、また、特に何もしていないときとき、誰とも目があってなくても眼差しを感じることはありますから、前の座席のおふたりもぼくの視線に気づかれていたかもしれませんね。
予定日まであと一週間。
生まれてくる子からはじめてぼくに注がれる眼差し、
ぼくがその子に注ぐ眼差しはどんなで、
またぼくらが一緒に受ける人からの眼差しはいったいどこでだれからどんな風に注がれるのでしょうか。
早くも、ダウン症をもって生まれてくる子と自分がお出かけをしているところを想像しています。
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