スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

胎動(はじめまして)

エコーで妻のお腹の子の首のまわりにむくみが見つかってからもう2ヶ月以上経ちました。 妻の検診にに付き添ったその日、これまで通りに元気な赤ちゃんの姿をエコーで確認し、診察で妻が先生から「順調です」と言われ、そのまま帰るのだと思っていました。 そこは長女の生まれた病院で、 生まれる前の検診ではいつも異常がなくて、 ぼくは自分が付き添ったときはエコーや診察などを一連の儀式のように感じていたかもしれません。 でも今年(2018年)の2月7日、 その日は違いました。 エコーはもう済んでいるのに、妻がもう一度エコー検査の部屋に入りました。 そして診察。 そこで先生から首のまわりにむくみのあるエコー写真を見せられながら、「お話」を聞かされたのです。 先生はメモ用紙に「胎児水腫」と書きました。 大きな病院で確認しないとわからないけれど、生まれてすぐに亡くなる場合や死産になる可能性もあると言われました。 そしてこんなことも言われました。 「ダウン症ということも考えられるかもしれない」 ぼくは「とうとう来たか」と思いました。 「胎児水腫」という重い病気かもしれないということよりも、「ダウン症かも」ということのほうが、認識の重みとしてずっしりと心に感じられたように覚えています。 「どんなことがあっても私達は生もうと思っています」 ぼくは先生にそう言いました。妻も頷いていました。 先生は、羊水検査を受けてみたら、ということ、今の週数なら生まないという選択も可能だということを言い添えて、大きな病院宛の紹介状を書いてくれました。 このブログは、自分の子がダウン症かもしれないと聞かされたときの気持ち、 なぜためらわずに「生もうと思う」と答えたのか、 その背景や理由から綴りはじめ、 出産までの経過、 そしてわが家に無事ダウン症の子どもが生まれてからのこと、 その中で感じたことや考えたことを書いていこうと思います。 ***** 妻と娘が隣ですやすやと眠っています。 きょうも妻が「あまねくんがよく動いているから」とお腹を触るように言いました。 すごくよく動きます。 長女のときと同じです。 はっきりと21番目の染色体が3本ある羊水検査の結果を見た(その時に性別もわかりました)ので、お腹の子がダウン症であること
最近の投稿

うさぎとかめ

少し前にうちのテレビにAmazonのFire TVを付けたところ、 2歳の長女がYouTubeに夢中になってしまいました。 放っておくと連続再生で「関連のある」らしい動画を次々と見続けるので、 お約束をしてきりのいいところでやめる、というお互いの訓練の時間になってます。 絵本や他のおもちゃ、お絵かきやワークに気持ちを振り向けて一方通行のコミュニケーションに終わらないように、と。 YouTubeでどんな動画を見るかというと、「どんぐりころころ」や「うさぎとかめ」などの童謡、 英語でアルファベットや色を覚えようといった内容のもの、 その他もろもろ、ただ広告収入を得るために手抜きで作ったいい加減な動画も含めてさまざまです。 *** あるとき「うさぎとかめ」の動画を何種類か続けて観て(観させられて)いて、ひとつ気になったことがありました。 童謡「うさぎとかめ」の一節にこんな歌詞があります。 なんと おっしゃる うさぎさん そんなら おまえと かけくらべ むこうの 小山(こやま)の ふもと まで どちらが さきに かけつくか 歌詞にははっきり「ふもと」とあるのに、ほとんどの動画は山の頂上にゴールの旗をたてて描いているのでした。 たくさん観ましたが、ぼくが観た中では、ふもとにゴールを描いている動画は一つだけでした。 他の動画の作者は「ふもと」の意味を知らないのか、見栄えを考えて歌詞の意味を無視したのか、どちらかだろうということで済ませていました。 ところがきょう車を運転しながら、この「 ふもと 」に、 この有名なイソップの寓話の肝心な意味を解くカギが隠されているんじゃないかと思ったのです。 ぼくはこれまで漠然と以下のように考えていました。 カメは足が遅いが、うさぎは速い 普通ならカメに勝ち目はない しかしうさぎは油断をして居眠りをし、カメはコツコツ歩み続けたので勝負に勝った 教訓としては、うさぎにとっては油断大敵、カメにとっては何事もコツコツやればチャンスがある、というくらいに。 しかしこれでは、 油断さえしなければ 「うさぎのほうがカメより速い」というところから優劣を決める軸が移らず、根底に「実はうさぎのほうが優れている」という判断をひそめたまま、カメには「それでも努力したカメはえらい」といういわば「上から目線」の称賛をおくって

わたしの日々はあなたの書にすべて記されている

きょう、旧約聖書の詩編139編に久々に目を通しました。 あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 わたしはあなたに感謝をささげる。 わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。 御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。 あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。 わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。 あなたの御計らいはわたしにとっていかに貴いことか。 神よ、いかにそれは数多いことか。 数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思ってもわたしはなお、あなたの中にいる。 (新共同訳聖書 詩編139編13節~18節) 人それぞれにとって、神がいるか、いないのか、その問いに対する答えは違うことでしょう。 しかしこの詩の作者は自分の存在の物語を、神が自分を造ったという 意味をこめて 歌っています。 自分の肉体や、存在の原因は自然科学的な因果関係によって記述可能なものとぼくは思います。 おそらく複雑にさまざまな要素が絡み合いすぎていて、ほぼ不可能であろうとはいえ、 自分がここに存在するに至る道筋に、時空におけるひとつ、ひとつの粒子の出会いや、遺伝子の情報や、そういったものが数珠つなぎになっていることを想像することはできます。 でも自分の存在の意味をそのような自然科学的な因果関係の結果に「過ぎない」としてしまうと、 人生はおそらく「無意味」になってしまう。 たとえ偶然に左右される自然科学的な因果関係の帰結が現在の自分「であっても」、 未来や過去に向かって意味を与えていかないと、生きることはとても辛い。 * * * あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 この部分を読んだときにぼくはあまねのことを考えました。 あまねは自分の存在をどのように意味づけるだろう、と。 自分の心臓の房室中隔欠損をさして、 あなたは、わたしの内臓(欠陥のある心臓を含む)を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。   と歌うでしょうか。 自分の21番目の染色体

誘拐(退院)

この世に生を享けて、1か月と8日のあいだ過ごした病院から、 あまねくんが無事に退院しました。 NICUとGCUでほんとうに大切に見守られ、育てられて、 あまねくんはとても幸せな人生のスタートを切ることができたと思います。 (妻は、自分も家族も含めて、これまでに受けた中で最高の看護を受けた、と言っています。) あまねくんが生まれる前からお世話になった、病院のスタッフの皆さんに何度もありがとうございますと伝えたい思いです。 ほとんど毎日病院に通い、あまねくんの顔を見ていたとはいえ、 あまねくんがこれまで安心・安全に過ごしていたのはあくまでも病院で、 病院の外、 自分たち家族だけの場所へあまねくんを連れ出すことには不安がありました。 退院は嬉しいのです。 でも同時に不安で、 嬉しいのと不安なのとのモザイク状態のまま、 あまねくんに家から持ってきた水色の縞々模様の服を着せ、 3人で病院のエレベーターに乗って、 駐車場に降り立ちました。 何台もの車の陰で、アスファルトの地面の上に立って、 こそこそと、かつ大切に、あまねくんを自分たちの車のチャイルドシートに乗せ、 あまねくんの親というより、誘拐犯になったような気がするのでした。 そして、これからお姉ちゃんを保育園に迎えに行く、という車中で、 犯罪に手を染めてしまったかのような不思議な気持ちを抱えたまま、 いろいろなことを思うのでした。 あまねくんを連れ出すのは IKEAの家具を持ち帰るのとはわけが違いますし、 「誰かにとって特別だった君を マークはずす飛びこみで僕はサッと奪いさる」 小沢健二の「ドアをノックするのは誰だ?」の歌詞をふと思い出して、 「なんて軽薄な歌なんだ」と思い、 『ある子供』という映画のことを思い出して、 「ちがう、ちがう、あれは生まれたばかりの自分の子供を他人に売ってしまう映画だった」 と気づいては、別な映画のことを考えようとし、 妻と話しながら、運転を続け、 他のお母さんも「NICUやGCUから退院するときは、誘拐するみたいだった」とネットに書いていたと聞いて、 同じように思う人もいるんだと思い、 保育園で長女を迎えて、 はじめて(ガラス越しでなく)あまねくんに対面させ、 とにもかくにも家にたどり着いて、 妻があまねくんをベビー

水引草

太山寺で頂いたホトトギスを植えた鉢の横に、水引草が元気よく伸びていました。 夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへった午さがりの林道を  ― 立原道造 「のちのおもひに」より はじめてその草を見かけたのはあまねくんの生まれる前で、 空っぽの鉢に生え出した雑草かと、ひっこ抜いてしまおうと思いましたが、 見覚えのある葉のような気もし、 これは抜いてはいけないというような元気さが葉の色にも厚みにも感じられて、 そのままにしておきました。 そして猛暑や豪雨や台風が過ぎ、 ふと気がつくと、水引草のあのひゅっと伸びる鞭のようなものが何本か出ていて、 鈍感なぼくはやっと、あ、水引草だったかと知りました。 数年前、まだ長女もいなかった頃、 妻と義母と3人で長野に旅行しました。 上田市の前山寺で、ホトトギスの花の鉢が売られていて、それを義母が買ってくれたのですが、 それが毎年きれいな花を咲かせてくれるので楽しみにしています。 (何年か後に太山寺で分けて頂いたホトトギスとは品種が違って、花の色や葉が異なります。) その長野の前山寺のホトトギスの鉢に寄せて、 義母が戸隠の道端で採ってきた水引草を植えていて、 これがまた毎年紫のホトトギスに小さくてきれいな赤を点じてくれます。 そして立原道造の有名な詩を思い出させてくれるのです。 詩のことばでしか知らなかった植物を目の当たりにして、 こちらの夢もどこかへ帰っていくような気がします。 ただ、こちらは元気よく茂るホトトギスに押されて、 わずか二株で、暑い日が続くと葉っぱも枯れがち。 雑草だと思って引っこ抜こうとした時に、 見覚えがある気がしたのは、 この少し貧弱なホトトギスの葉のかたちでした。 元気な力強い「雑草」があの立原道造の詩に歌われた水引草だと、 そして毎年きれいな赤をホトトギスに添えてくれるあの花だと気づいたとき、 引っこ抜かなくてよかったと嬉しく思ったのでした。 自分こそ雑草かもしれないのに、 ぼくは自分の「限られた」知識と価値判断に基づいて取捨選択をして、 日々知らぬ間に「雑草」を抜いているのです。 先輩の水引草と、立原道造の詩が今回の選択を助けてくれました。 義母によると水引草はそれこそ「雑草」のように増えて繁茂

あまねくんの顔から

手術後はじめて、あまねくんを抱っこしました。 おとついのことです。 「こんなに早く抱っこできるようになるなんて。」 呼吸や点滴や排出のためにあまねくんのからだに通っていた管が、 一日一日と経つうちにどんどん外れていって、 思ったより早く抱き上げられるようになったのです。 胸にできた手術の傷も、信じられないくらい回復していて、 あまねくんの生命力の強さを感じたのでした。 手術なんてしなかったような、小さくて、柔らかく、ずっしりとした羽のような軽さ。 もう一度生まれてきたかとも思える美しさをしっかりと抱きとめようと、 緊張して固くなった古いかんぬきのような腕を構えていました。 でも手術直後の姿はほんとうに痛々しかったのです。 管を通じてあまねくんのからだにつながれたたくさんの機器は、 あまねくんもまた「機械」なのかと思わせるような 「人間」と「機械」の境界をあやふやにする絵図をそこに浮かび上がらせていました。 顔はむくみ、 口に通した管を固定するテープのために口元がゆがみ、 手術前に知っていたあまねくんの顔ではなくなっていました。 そしてその顔ははっきりとダウン症の特徴を表すようなそれで、 かつてジョン・ラングドン・ダウンがその特徴を列記して「蒙古症」と名付けた「疾患」のことを想起させました。 実はあまねくんが生まれて初めて対面したときから、 ぼくはあまねくんの顔にダウン症の特徴を探していたのです。 それは恐怖探しのようなものでした。 腕に抱いたあまねくんがふと顔の筋肉を動かしたときに、目じりが釣りあがるなどして、 一目でそれとわかるような特徴が浮かび上がる。 そのたびにぼくははっとして、少なからぬショックを受けるのでした。 あまねくんが生まれる前は、街中で、バスの中でダウン症の方を見かけるたび、 友人を見つけたように嬉しくなっていた、あの「特別なしるし」のような顔を、 なぜわが子のうちに見出して恐れるのか。 ぼくは自分のその矛盾を嫌悪しました。 やはり他人は他人、わが子はわが子なのか。 出生前診断の結果を受けて、産み育てようと決めたとはいえ、 ダウン症を持っている人への差別は自分の中に根強いのではないか。 自分は結局それを克服できないのではないか。 それはあまねくんの顔から投げか

手術成功

18時前、手術が無事に終わりました。 予定していた処置がすべて正常になされたようです。 今度はCICUに移ったあまねくん。 まだ麻酔が効いていてすやすや。 口に管、 お腹のあたりから管、 おしっこの管、 その他たくさんの点滴。 テープや管だらけで痛々しいけど、 あまねくんは生きています。 息をして、胸が上下していましたが、 手術前よりおだやかになったような気が。 ただ手術後で体力が落ちてるからかな。 麻酔が切れて、起きたら痛くて辛いかな。 先生は痛み止めをしてくれると言ってたから大丈夫かな。 あまねくん、 あまねくんのからだはただの容れ物じゃないよ。 機械じゃないよ。 でもあまねくんの心臓の働きを良くするために、 そのからだであまねくんが元気で長生きできるように、 先生に手術をしてもらったよ。 お父さんもお母さんも、あまねくんが痛いなら、本当にこころが痛いよ。 からだも辛くなるよ。 でもできるだけ痛くならないようにしてもらおうね。 ゆっくり、じっくりと回復してね。 あまねくんがまだ病院にいるのが、まるで違う星にいるように感じられます。 おやすみなさい、あまねくん。

手術室へ見送る

ぼくらは越えられない境界の向こうへ、お医者さんや看護師さんといっしょに、あまねくんは小さなベッドに乗って出かけて行きました。 ものすごく寂しい。 家族待合室にはロッカーと洗面台とゴミ箱とベンチだけ。 保育園には長女がいて、 自宅には母が待機していて、 ぼくらだけ、どこかものすごく高い山の麓の小屋に置き去りにされたような気がします。 山に向かって目を上げる。 あまねくんはいつ戻ってくるんでしょう。