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うさぎとかめ

少し前にうちのテレビにAmazonのFire TVを付けたところ、
2歳の長女がYouTubeに夢中になってしまいました。
放っておくと連続再生で「関連のある」らしい動画を次々と見続けるので、
お約束をしてきりのいいところでやめる、というお互いの訓練の時間になってます。
絵本や他のおもちゃ、お絵かきやワークに気持ちを振り向けて一方通行のコミュニケーションに終わらないように、と。

YouTubeでどんな動画を見るかというと、「どんぐりころころ」や「うさぎとかめ」などの童謡、
英語でアルファベットや色を覚えようといった内容のもの、
その他もろもろ、ただ広告収入を得るために手抜きで作ったいい加減な動画も含めてさまざまです。

***

あるとき「うさぎとかめ」の動画を何種類か続けて観て(観させられて)いて、ひとつ気になったことがありました。

童謡「うさぎとかめ」の一節にこんな歌詞があります。
なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山(こやま)の ふもとまで
どちらが さきに かけつくか
歌詞にははっきり「ふもと」とあるのに、ほとんどの動画は山の頂上にゴールの旗をたてて描いているのでした。
たくさん観ましたが、ぼくが観た中では、ふもとにゴールを描いている動画は一つだけでした。
他の動画の作者は「ふもと」の意味を知らないのか、見栄えを考えて歌詞の意味を無視したのか、どちらかだろうということで済ませていました。

ところがきょう車を運転しながら、この「ふもと」に、
この有名なイソップの寓話の肝心な意味を解くカギが隠されているんじゃないかと思ったのです。

ぼくはこれまで漠然と以下のように考えていました。

  • カメは足が遅いが、うさぎは速い
  • 普通ならカメに勝ち目はない
  • しかしうさぎは油断をして居眠りをし、カメはコツコツ歩み続けたので勝負に勝った


教訓としては、うさぎにとっては油断大敵、カメにとっては何事もコツコツやればチャンスがある、というくらいに。

しかしこれでは、油断さえしなければ「うさぎのほうがカメより速い」というところから優劣を決める軸が移らず、根底に「実はうさぎのほうが優れている」という判断をひそめたまま、カメには「それでも努力したカメはえらい」といういわば「上から目線」の称賛をおくっているに過ぎないのでは。

はたとそんなことに思い至ったのです。

そう考えるに至った経緯を順を追って説明すると、
  • うさぎに馬鹿にされて勝負を挑んだのはそもそもカメのほうである
  • しかもゴール地点を決めたのもカメである
まずこのことに気づいたわけです。

向こうの小山というのは、ゴール地点としてはよい目印でしょう。
しかしカメが設定したゴールはその山の頂上ではなく、ふもとです。
つまりゴールまでのラストスパートに坂をのぼる必要はないということでしょう。
もしゴールが山の頂上なら、足が遅いカメにとってはきつい道のりになってしまうけれども、ふもとで止めておくならそのリスクはありません。
うさぎは何の物言いもなくこの条件をのんだとみえます。

ところがこれだけでは、うさぎにとってもコースが楽になるだけです。

カメが無謀に思われるかもしれない勝負を挑んだのには、
競争相手をちゃんと見極めたからでもあるではないか、そんなことも考えてみました。
世界のうちでお前ほど 歩みののろいものはない
どうしてそんなにのろいのか
これは端的にカメを馬鹿にしているに過ぎないうさぎのことばです。
何ら客観的な判断はありません。
世界のうちには、足のはやさにかけてカメより遅いものもあるかもしれない。
(ちなみに、もちろんのこと、うさぎは馬に比べれば足が速いとは言えない。)
「どうしてそんなにのろいのか」に至っては、これはカメにも誰にも答えることのできない問いであり、そんな問いを相手に投げかけるのは完全に相手を見下し、可能性を奪った見方をしている証拠です。

ここにカメは自分の勝算を嗅ぎ取ります。
うさぎは慢心しており、自分が負ける可能性をゼロと見ている。
それゆえに、そこにはまず油断が生じる可能性がある。
油断する可能性があるということは、カメの勝算もそこから生じるということです。
ここでカメ自身が設定したゴールも生きてきます。

相手の油断+自分にとって無理のないゴール。

もちろん、うさぎは油断をするだろうとは言っても、それでもかけくらべに勝てない可能性だってある。
しかしカメは勝ち目のない競走にただ「コツコツ進むこと」で挑んだのではなく、可能性をあらかじめ計算して勝負に臨んだわけです。

だからうさぎが途中で眠ったのは、カメにとって「運よくうさぎが居眠りしてくれた」のではなく、あらかじめ想定しておいたことがある確率で起こったということです。

そしてうさぎが気づいたときにはカメは山のふもとに到着していた。
もしこれが山の頂上であれば、追い抜かれたかもしれない。
カメの作戦は見事功を奏したわけです。

「ふもと」にこだわって、
童謡の歌詞をもとにこうつらつらと考えたわけですが、
こう考えると評価の軸が「足の速さ」から、
「相手に対する態度の決め方、自分の能力の適切な見極め方」に移ります。
そこから見ると、うさぎは明らかに「愚か」で、カメは「賢い」と評価できますし、
もちろん「コツコツと歩み続けた」ことも美徳として失われません。
ただ闇雲なコツコツではないだけです。

そもそもうさぎがカメを馬鹿にしなければ、競走はなかったでしょう。
しかしうさぎの内心の偏った競争意識(自分より弱いと見るものに対して優越感を得る)に対して、カメが見事に切り返すことになりました。

***

ダウン症をもって生まれたあまねにとって、
偏った眼差しで「弱い存在」と見られることは避けられないことかもしれません。
それに「相対的に優れている」かもしれない長女にとっても関係のないことではないでしょう。

きょう車の中で考えたこと。
それは根拠のないたわむれのような思考にすぎないかもしれませんが、
このことはこれから2人を育てていくにあたって覚えておきたいと思ったのでした。

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