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イカリエ-XB1

またSFの話になりますが、『イカリエ-XB1』という映画を観てきました。
1963年制作のチェコスロバキアのSF映画です。
ちょっと古いですが、映画好きとしては

60年代SF
チェコ映画

それだけでどうしても興味をそそられるで観てきました。

オープニング、画がすごくスタイリッシュでかっこいいです。

地球外の生命体探査のためにある宇宙船が旅をしていて、
物語はほぼその宇宙船内で進みます。
(最前列に座って、少し体を寝かし気味に観たら、途中で数分間寝ました)

途中で「ダーク・スター」なる天体に遭遇して、そこから放出される放射線で
乗組員たちは疲労感に襲われ、眠たくなって寝てしまいます。
(映画自体も「放射線」を出していて眠くなるという噂です)
しかし終盤で、ダーク・スターの影響から彼らを救った何者かの存在が明らかになります。

それはダーク・スターの先にある白い惑星の生命体に違いなく、
船はその惑星に降下することになります。

そしてまさにそのタイミングで、妊娠していた乗組員のひとりが子供を出産することになり、
生まれたばかりの赤ちゃんが大写しになります。

なんだか予想しなかったハッピーエンドに進んでいく感じがしました。
遭難したまま宇宙の闇に消えていくみたいな結末を予想していたので。

艦長だったか、こんなことを言います。

一時間後にわれわれは降下する。
そこは地球ではない。
ダーク・スターの放射能からわれわれを守った生命体のいる星だ。
われわれは生命体を探しに出かけたが、
われわれのほうが見つけられた。

あまねは今月末に生まれてくる予定です。
まさに「一時間後」にそれを控えているような心境です。

地球ではない、これまで生きてきたのではない世界に降下するような、
そんな気持ちになっています。

長女が生まれたことも未知の体験ですが、
うちの場合は二人目でも未知の体験です。

そして「われわれのほうが見つけられた」というセリフと、生まれたばかりの赤ちゃんのカットが、今の自分の状況にぐっときて、
とてもいいハッピーエンドの映画を観たような気もちになりました。

惑星に降下してからの出来事は映画では描かれていなかったので、
その先はどうかわからないのですけどね。

しかし、とにかくもうすぐです。

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