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おなかをさわる、そこに子どもがいる

妻のおなかにダウン症の赤ちゃんがいます。
妻はよく、
「あ、動いてる、さわってみて」
と言います。

ぼくは手を置いてみて、動くのを待ちます。
そうすると、動かないときもあれば、
ぽこん、
と動くこともあります。

長女のときもそうだったような気がしますが、
ぼくはあまり自分からおなかをさわって、動いているのを感じる、ということをしません。

世の中の多くのお父さんは耳を当てたり、声をかけたりするんだと思います。
でもぼくはあまりそういうことをしません。

なんだかよくわからないのです。
冷たい、と言われるかもしれませんが、
実感として、まだよく理解できないのです。

自分の子?

自分に子どもがいる?

長女の存在すら、まだ不思議に思うことがあるくらいです。

観たことがある方はわかるかもしれませんが、『惑星ソラリス』という映画で、
ソラリスという星の海(知性をもっているらしい海)が、
その星の研究用ステーションに「お客」を送ってきます。

その「お客」はそこに暮らす研究員の過去や記憶に関係する人物の姿で現れます。
主人公の「お客」は故人となった妻でした。

主人公が「お客」として現れた妻に言います。

ぼくがここにいるのが、どうしてわかった
いまのぼくの気持ちは、ちょうどその感じに似ているような気がします。

「どうしてここにいる」ではなくて、
何かそれ以上のこと、
自分を、まさにぼくを目がけてやってきたような感じ。

おなかの子が生まれてくるのは楽しみには違いないですし、
生まれたらきっとかわいいに違いないのですが。

その自覚のなさというか、
戸惑い、おののき、のようなものが、
あまり積極的に妻のおなかをさわらない理由かもしれません。

関心がないのではないんです。
でも妻はぼくがあまりおなかにさわらなかったらさみしいかな、
とも思います。

 「不思議」に留まらず、「現実」にしっかり立つべきなのかな、とも。



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