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周りの人に助けられるということ

ある雨の日。

長女を保育園に迎えにいくことになっていましたが、抱っこ紐を持っていくのを忘れてしまいました。

これは大変です。

長女はもう2歳なので、歩けますし、階段も自分で昇り降りてきるのですが、保育園からは地下鉄とバスを乗り継いで家に帰るので、その娘の自由さが逆に大変なのです。

駅構内やホームはちゃんと手をつないでいないと、好きなところへ走っていってしまうし、地下鉄やバスの中でもなかなかじっとしているのは難しいです。

おまけにきょうは雨で、靴は園庭のぬかるみで泥んこ。
いつもなら一旦座らせてからすぐ靴を脱がさせてもらっているのですが、きょうみたいに靴が泥んこになってはもう乗る前に靴を脱がせておこうと。
靴を脱がせて、ビニール袋に入れて、あとは抱っこです。

しかしぼくの鞄はリュックでなくてビジネスバッグなのです。
バッグに付属の肩紐もなくしていて、保育園からの持ち帰りの荷物と自分の鞄とを左腕に通し、手首に傘の柄をかけて、その状態で娘を抱っこ。
これがなかなか疲れます。

地下鉄では運良く優先座席が空いていました。
そこで寝転ぶ娘。
起こして、「ここでごろんしないよ」と諭す。
それからぼくが隣に座ると、ぼくを踏み越えて、その隣の方にコンタクトしようとするので、しっかりとホールド。
「すみません」
と言うと、娘を見てにっこりとして下さいました。

目的の駅について、そこからバス停までは抱っこで移動。手をふさがれたまま、改札機にICカードをピッとするのもなかなか難儀です。

バスがやってきました。
バスは混雑していて、優先座席は空いていませんでした。
ノンステップバス内の段差を上がって、後方の空いている席に娘を座らせることに。

そこは二人がけのシートで、窓側に既にひとりご婦人が座っておられました。

娘は座席に座ると、そのご婦人と自分とのわずかな隙間を手で叩いて、
「おとうさん、ここ」と言います。
ぼくは娘の耳元で「狭いからお父さんはそこに座れないよ」と諭します。
しかし娘は、
「おとうさん、ここよ!」
と、さらに大きな声で主張します。

仕方なく、
「じゃあお父さんのおひざに座ろうか」
と言って、娘を抱き上げ、自分が座って娘を膝に乗せると、
「ちがう、ちがうの!」
と駄々をこねて膝から降りたがります。
困りました。

するとご婦人が、「いいのよ、並んで座ってあげて」と言ってくれました。

ぼくはこのスペースではどうしても無理だと思いつつも、自分のからだを座席の手すり側に押し付けて、自分とご婦人の間に娘を割り込ませました。
狭くてとても「座っている」状態ではありません。
やっぱり娘は泣きます。
「ちがう、ちがうよー!」

すると、反対側の2人席に座っていたひとりのおじいさんが、
「次で降りるから」
と言ってその席を譲ってくれました。

おかげで、娘をその席に移動させ、自分もその隣に座ることで、娘も納得しておとなしくなりました。

本当にありがたいことでした。

***

いくつかバス停に停車しているうちに、自分たちの席の周りにも立っている人が増えてきました。

ふと気づくと、娘が近くの女の人のシャツを引っ張っています。

「あ」
と慌てて娘の手をとってやめさせると、

振り向いたその女の人はダウン症の方でした。
ぼくがその方の顔を見て「すみません」と言うと、
その方はにっこりとされてうなづいてから、向こうを向かれました。

娘とある意味で格闘しながら地下鉄やバスの中にいるときは、周りのことが見えなくて、周囲からどんな風に見られているかもわからなくなります。

周りの人はその大変そうにしているのを客観的に見てくださって、声をかけてくれたり、助けてくれたりするのでしょう。

正直余裕がなくて、席をゆずってくれたおじいさんの顔もちゃんと覚えていられなかったです。

しかし、特段何か助けてくれたわけではないダウン症の女の方が、にっこりと笑いかけてくださって、「いいよ」というメッセージを伝えてくれたことに、ぼくは一番助けられたように思います。
もちろん、席をゆずってくれたおじいさんにも十分に助けられたのですが。

おそらく、これから生まれてくるダウン症児のあまねくんと共にするかもしれない苦労を思っているぼくに「いいよ」と言ってくれたのが、
同じダウン症の方だったということが、
ぼくには希望に思えたからではないかと思います。

周りの人に助けられる、その「周囲」というものがよく見えていない自分。
そして無意識にその「助けてくれる周囲」の中にダウン症の方を含めず、もっぱら「助けられる障害者」の側に置いていた自分。
そんな自分を見出すことになった、雨の中での娘との小旅行でした。

あまねくんもまたいつか、助ける側にまわることもあるのかな、と。
その笑顔に早く出会いたいなと思ったのでした。

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